こころゆくまで

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夢と志(龍馬の生き方に学ぶ)


こころざしを果たして いつの日にか帰らん
山は青きふるさと 水は清きふるさと


言うまでもなく、童謡「ふるさと」の三番です。「夢」は見ているだけでもいいのでしょう。見ているだけで夢が終わったとしても、「あれは夢やったんや」で済ますことができる。ちょうどウィンドウショッピングのようなものです。実際に買わなくても誰からも文句は言われません。「このダイヤの指輪、素敵だわー」と見ているのが「夢」。でも、「志」はそういうわけにはいきません。「志」は「果たすもの」ですから、そこには必ず「行動」が伴っている必要があります。「私、絶対にこの指輪を買うの」と決めて、そのために働いてお金を貯めようと頑張り始める。こうなると、それはもう昨日までの「夢」ではなく、近く実現するかもしれない「志」なのだと言えます。そういう意味では、「夢」が行動を伴って実現させようとの強い意志を帯びてきたときに、それは初めて「志」と呼べるものになると言えるのではないでしょうか。


私達が最も幸せを感じる時っていつでしょうか。おそらく、私達の目の前にいる人の心に幸せになるためのスイッチが「パチン」と入る瞬間を感じた時ではないでしょうか。そうなのです。幸せというのは「ある幸せな状態」のことではなく、人の幸せを願って一生懸命戦っている瞬間の燃えさかっている自己の胸中にある。その意味で、私達の幸せは他者が幸せになろうと決心した瞬間にやってくる。私にはそういう気がしてなりません。


「戦争と平和」の著者として有名なトルストイが次のように言っています。「人生には一つだけ間違いのない幸福がある。それは人のために生きることである。」私の一日は400人の友に、このトルストイの言葉のような著名人の言葉をメールで配信することから始まります。


坂本龍馬という人物について、私が知ったのも司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」という小説を学生時代に先輩から勧められたのがきっかけです。その竜馬の一番の資質というものを考えてみることにいたします。実はこれが当時の幕末の勤王か佐幕かというイデオロギー満開の時代にあって竜馬を他の志士たちとは、ひときわ際立ったものとしているように思えてなりません。それは竜馬の中に流れる「天皇中心」でもなく、「幕府中心」でもない、「人間中心主義」「庶民中心主義」ではなかったかと思うのです。


つまり、竜馬は人間そのものをこよなく愛していた。彼には尊皇派も佐幕派もなく、どっちも好き。その愛する人間同士が殺し合いをするのが一番嫌い。ですから、勤王の志士でありながら、勝海舟などという当代随一の佐幕派を代表する人間の弟子になることも、彼にとっては何の問題もないことだし、松平春嶽とも仲良くなれる。およそ勤王の志士とは思えない行動をやってのけることができたのではないかと。この「人間好き」というのが坂本竜馬の第一の資質ではなかったかと、このように思うのです。この無類の「人間好き」という一点が坂本竜馬の最大の特徴なのではないでしょうか。


「トムソーヤーの冒険」の作者として知られるアメリカの作家マーク・トゥエインという人が次のように言っております。「彼は人を好きになるのが好きだった。だから、人々は彼のことを好きだった。」竜馬が彼を取り巻く人々からこよなく愛されてきたのは、このように、目の前にいる相手のことを瞬時に好きになるという能力に長けているという点です。このことによって、まさに「人々は、彼のことを好きだった」という状態が現出するのですが、竜馬自身はその事実をあまり意識していないように感じられます。


例えば私が敬愛する中村文昭さんの講演内容の中で次のような内容の話が出て参ります。女の子が自分の彼氏とピクニックに行くことになって、自分のことを試されていると思った女の子が腕によりをかけて夜中までかかって手作りのお弁当を作るという話です。私自身はもう何回も聞いている話なのですが、その中で文昭さんは次のようにおっしゃっておられます。「人は他の人のために頑張るときに本当に力を発揮する」


この部分がちょっと引っかかるのです。このピクニックに行くことになった二人なのですが、もし女の子の方が彼のことを好きでも何でもなく、嫌々仕方なく付き合っていて、本当は別に好きな人がいたとしたらどうなのでしょうか。おそらく、「夜中までかかって弁当作り」とはならないのではないかと。ここで私が言いたいのは、「人は自分が嫌いな人のためには頑張ろうとはしない」「人は自分が好きな人のために頑張ろうとする生き物である」ということなのです。


おわかりいただけるでしょうか。龍馬はすべての人を瞬時に好きになれるから、すべての人のために頑張ることができる、そういう資質を備えた人物なのです。ですが、実際はそうではない人が多いように思えます。ですから、龍馬を好きになって、龍馬のような生き方に憧れる人に私が実践してもらいたいこと。それはまず、「あなたの周りの人を好きになってください」ということなのです。人は自分の好きな人の笑顔を見たいから頑張るのですから。


この部分が龍馬には簡単だが、他の人にはなかなか難しい部分のように思えている次第です。恐らく坂本龍馬という人物は、食べ物に好き嫌いがない人間ではなかったかと思われます。このことは実は、人間に対しても好き嫌いがないということと密接な関係があると思っております。私が見るところ、龍馬は人を好きになるということに関して、大して努力を必要としていないように感じます。「自分以外の人を好きになることが自然にできる人」、こういう人は多分に「他の人も自分と同じではないか」「自分と同じように人間が好きなのではないか」と思ってしまう傾向があるように感じます。


しかし実際には、人を好きになるには大半の人には、なみなみならぬ努力が必要です。本当は他人を嫌いではなく好きになる方がいいに決まっていますが、好き嫌いというのは感情ですから、自分の感情をコントロールすることの難しさが伴うからです。ですが、それをわかった上で、自己改革に取り組んでこそ動物にない人間としての幸せな生き方があるように思えてならないのです。




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