こころゆくまで

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教員として(人を育てる)②

私の中学校教員としての最後の実践場所と思っているのはM中学校でした。この学校で赴任2年目に入学してきたのが、西日本最大の広域〇〇団といわれた組織の会長の一人息子のK君でした。結局私は、この子を3年間担任することになるのですが、当初は入学前から〇暴担当の刑事さんが学校にやってきて、校長先生と担任になる私に話がありました。


「今度、こちらの学校にNの一人息子が入学してきます。彼は小学校時代は毎朝の登校時に運転手付きで学校の玄関前まで車で乗り付けてきていたのですが、中学校ではそのような特別扱いをするようなことがないようにお願いしたい」校長先生はすかさず「そのような特別扱いはいたしません」と即答していました。刑事さんが帰った後で、私は校長先生に尋ねました。「校長先生、もし車で玄関前まで乗り付けてきたら何て言うのですか」「何も言わないよ。言えるわけないだろ」「ですよねー」私は妙に納得しておりました。


しかし実際は、私の顔を立ててのことなのか、彼が玄関前まで乗り付けて来ることは卒業するまで一度もありませんでした。毎年新学期を迎えると家庭訪問という学校行事があるのですが、一般人として彼の自宅に3回も足を踏み入れたのはたぶん私一人だと思います。家に入る門の上には鉄条網が張り巡らされており、その門の内側から外に向かって、何台もの監視カメラ。恐る恐る呼び鈴を押すと、自動で鉄の扉のロックが外れ門が開きました。門をくぐって中に入ると、また自動で扉が閉まり、ロックがガチャリとかかりました。「俺、戻ってこれるやろか?」一抹の不安を胸に石段を上ると左手に玄関のドア。ところが右手を見て驚きました。そこには、な何と、プールです。泳ぐためのプールがあるのです。「わお!」思わず声を上げそうになりましたが、心を落ち着かせてドアノブに手をかけました。


家の中に上がると、また並んでいる調度品の数々。未だ塀の中でお暮らしのお父様が、一人息子のK君に言ったそうです。「俺がこの仕事廃業したら、この家、美術館にでもしようか」お母様はなんでも、もとは有名なお店のママさんだったとお聞きしていますが、それはたいそうな別品さんです。「息子にこの家業は継がせません」ときっぱりと言ってのけるところが、素晴らしい母親だと思うのです。


私はこの子を3年間受け持つことになったのですが、中2の頃にこんなことがありました。ある日、私から叱られた彼が、はぶてて、私に無断で授業をサボって家に帰ってしまったのです。私は即座に彼のお母さんに電話をしました。「お母さん、すみません。K君がはぶてて帰ってしまいました」「わかりました」数時間後の放課後に、お母さんが彼を連れて学校に来ましたが、お母さんは車の中で待っているだけ。彼だけが職員室に入ってきました。「先生ごめんなさい」それだけ言うと、彼は帰っていきました。お母さんはご家庭で本人から話を聞き、「それはあんたが悪い。先生に心配かけるなんてとんでもない」と本人を一喝、それで連れてこられて、本人に謝罪をさせたのです。恩のある人にはきっちり筋を通す、昔ながらの親の姿がそこにありました。


今年の1月の成人の日、彼も二十歳を迎えました。その日に私は彼の自宅を久しぶりに家庭訪問しました。彼はすでに成人の日のお祝いに出かけておりましたが、私はお母さんに「K君の成人、本当におめでとうございます」と申し述べました。ご主人はまだ塀の中より戻られておりませんが、奥様は元気にしておいででしたので、ほっといたしました。


K君も中3になって、少し落ち着きがなくなってきました。修学旅行では女子生徒も宿泊しているホテルの廊下でフリチンで踊るような猛者でしたし、「先生、何かあったらすぐに言ってよ。ベンツ5台ですぐに乗りつけて、先生助けるから」というのが口癖でしたが、そんな彼がある日、私にボソッと言ったのです。そうです。中3と言えば、みんなの関心事は進路。高校入試なのです。クラスの仲間達の話は、嫌でも高校入試の一点にしぼられてきます。「先生、俺なんか高校行くとこないよ。俺は西日本最大の広域〇〇団会長の一人息子よ。この学校で俺の姓は俺一人しかおらん。俺が受験したら、どこの高校でも俺だってことわかるやん。どこの高校が俺を通してくれるん?」


彼が最近、荒れ気味なのはこれが原因だったのです。「よしわかった。お前が行きたいところに行かしてやる。だから普通に生活しとれ」「ほんと?」彼の目が輝きます。「本当だ。俺を信じろ。どこに行きたいんだ?」「H学園」「わかった。任せろ」そう言って、即座に私は校長室へ。「校長先生、K君の進路のことで相談があります。彼の進路を保障してあげないと僕たち、これもんかもしれませんよ」と言って、左手の小指を右手で切る仕草をして見せました。これを脅しとおっしゃる方もおられるかもしれませんが、愛のための脅しです。それなら許されるでしょう。「そやな、そやな。ヤバいよな。それで、どうするの?」「はい、実は彼はH学園を希望しております。ちょうどいいことに、あそこは私学で寄付金ががっぽり入る可能性があるK君を通してくれるのではないかと思うのです。H学園を推薦入試で受験というのはどうでしょう」「わかった。それで行こう」この校長との談合によって、彼の進路は一瞬にして決定したのであります。


その後、彼の卒業式の日のことでした。体育館での卒業式が終わって、卒業証書を手にした彼が、最後の学活を終えた後、私のところにやってきました。「先生、お父さんからの伝言を伝えるよ」


「ん?なんだい?」「私のような者が、このような晴れ姿の日に、先生の前に顔を出すなんていうようなことをすると、先生にも何かとご迷惑をおかけすることにもなりかねません。伝言にてお許しください。3年間、愚息の面倒を見ていただき、進路まで見つけていただき、本当にありがとうございました」お母さんだけでなく、お父さんも、人の上に立つ人というのは、やっぱり立派だなあと思った次第でございます。


当時の私のクラスにはもう一人、ちょっとやっかいな生徒がおりました。Y君です。彼は2年生の中頃から不登校になり、3年になって初めて、私が受け持つことになりました。新学期を迎える始業式の日、学級発表のあった日だけ登校し、その翌日からはまったく学校には来ません。完璧な引きこもりでした。原因は今もわかりません。ひょっとしたら、K君と同じクラスになったことが原因なのかもしれませんが、本人の口からは何も聞くことができませんでした。始業式翌日の放課後、早速彼の家に配布物やプリント類を持って家庭訪問しました。


玄関口に出てきたお母さんが、2階の彼の部屋に向かって大声で私の訪問を伝えます。「Yちゃん、先生よー」2階からガタガタと音が聞こえてきました。失礼します。そう言って2階の彼の部屋へ。部屋の鍵をお母さんに開けてもらってドアを開けました。しかし部屋はもぬけの空。彼は2階の窓から屋根に飛び出して、雨どいを伝って地面に降りて裸足のままで逃げて行ったのです。「お母さん、これは危ないなあ。あわてて地面に落ちたりしたら怪我するもんね」そこで私は、一計を案じてお母さんに言いました。「明日また伺います。ただし、伺う前に電話をしますので、お母さん、玄関の鍵を開けておいていただけませんか。あとは私に任せてください」


翌日の放課後、私は彼のお母さんに電話をした後、また配布物を持って彼の家へと向かいました。約束通り、玄関の鍵は開けてあります。私はそっとドアを開け、ゆっくりと2階の彼の部屋へ。彼の部屋の前にたどり着くと、いきなり中へ向かって叫びました。「Yよ、先生だ。ここを開けてくれ」ガタガタと彼があわてる音が聞こえてきました。さらに私は叫びます。「心配するな。お前を連れ出しに来たんじゃない。顔を見に来ただけだ。来たくなけりゃ来んでもいい」彼が止まります。音がしなくなりました。「世の中には学校なんて行ってない奴もたくさんいる。世界には朝から晩まで水くみばっかりやらされてる中学生なんてざらにいるんだよ。とにかくお前の顔を見たくて来ただけだ。担任やからな。顔を見せてくれないか」ガチャリというドアの鍵を開ける音。続いて「入っていいよ」という彼の声が中から聞こえてきました。


「俺はお前を学校に連れ出そうとは思わない。行きたくない理由も聞かない。ただ、俺が来たときは顔を見せてくれないか。それだけでいいから」「わかった」彼と交わした約束はただ一つ、私の前に出てくること。今はそれだけで十分です。これで一歩前進できた。そう思って彼の家を後にしました。その日以来、来る日も来る日も、部活が終わって午後の8時頃、彼の家への家庭訪問が続きました。そんなある日、やっぱり彼にも進路の悩みが訪れるのです。「お前、高校はどうしたいの?」「行けるところがあれば行きたいです」「わかった。何とかする」その日帰宅して早速、教え子でK高校の教師をしているI教諭に電話。この子は中学生時代に私の卓球部に所属しており、全国大会の経験者で、「今の私があるのは渡邉先生から殴られたおかげ」と平然と言ってのける高校教諭です。「おい、全くの不登校なんだが、いい奴なんだ。何とかならんか。頼む」「先生、それなら、推薦で受けさせていただければ何とかなるかもしれません」「推薦?まったくの不登校で一日も来てない奴を推薦かあ。んー、わかった。やってみよう」


翌日、早速、またしても校長室へ。「校長先生、こいつ推薦ダメですか?」「一日も学校に来てない奴を推薦か?」「はい。だって、暴力団の会長の一人息子だって推薦にする学校ですもん。ものは、ついでってことで、お願いいたします」「あははははは。あんたにゃ、かなわんなあ」ということで、このY君の進路も一石二鳥で一瞬で決定。そしてこのY君、高校進学後は3年間無遅刻無欠席の皆勤賞。そして大学受験。合格発表のその日のことです。私に彼から電話がかかってまいりました。「先生、大学、一発合格しましたー」「そうかあ、そうかあ、よくやったなあ。それでご両親も喜んでおいでだろう」「いえ、まだ両親にはこれから報告です」「馬鹿野郎、親が先だ。順番が逆だろうが」「いえ、先生が先です。先生がいなかったら、僕は大学なんて行けてませんから」私はこみ上げてくる熱いものを禁じ得ませんでした。


以上のように、中学校での教育実践を経たのちに、母の肺癌発見を契機に退職。さらに母の施設への入所を契機に高校講師として復職。そして今度は小学校の天地へと羽ばたくに至っております。始業式で、可愛らしい子供達の前で英語で挨拶をしてまいりました。しかし、一生の経験で小中高の三つの校種を渡り歩くという貴重な経験をさせていただいた事への感謝の念は尽きません。本当にありがとうございます。





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