こころゆくまで

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漱石の言葉①

今日の言葉145


愛嬌というのはね、自分より強い者を倒す柔らかい武器だよ。


(夏目漱石)文豪、出典「虞美人草」



「虞美人草」
項羽と虞美人の悲しい物語を思い出してしまいます。


「四面楚歌」
漢の劉邦と楚の項羽。楚漢戦争の最後の戦いは「垓下の戦い」として知られています。


四方どこを向いても祖国「楚」の歌が聞こえてくる。その歌声を聞き、祖国がすべて敵国の「漢」に降伏したと思い絶望した項羽と妃の虞美人。虞美人は足手まといになることを慮って自害してしまいます。


その虞美人を手厚く埋葬し、項羽も出陣して敗れ去り帰らぬ人となるのです。その後、虞美人の墓所に咲いた一本のひなげしの花。その花を誰言うとも知らず「虞美人」と名付けたのです。これが「虞美人草」の由来となっています。


愛嬌とは、もとは仏教用語の愛敬(あいぎょう)からきています。つまり、人を慈しみ、敬うという意味でした。それが、室町時代頃から愛嬌に変わり、人に好かれる表情、しぐさ、言葉遣いという意味になったそうです。


英語みたいな単純な言語には「愛嬌」に当たる単語は見当たりませんね。


しかし、最近ではこの「愛嬌」という素晴らしい日本語も死語になりつつあります。私達大人の責任です。何でもかんでもアメリカの真似をするのはもう辞めて、このような日本の素晴らしい言葉を大人たちがもう一度遣っていくべきだと考えます。


その他にも「凜とした佇まい」とか「燦燦と降り注ぐ」「慈しみ深い人」の「凜」、「燦燦」、「慈しむ」などという単語は、英語に直すのが非常に難しい。というか、単語一語では不可能なのです。なぜなら、そのような意味の単語が存在しないからです。


他国の文化を賞賛するのはいいとして、どうして自国の文化を卑下する必要があるのでしょうか。日本に原子爆弾を落としたことを後悔しているアメリカ人がどれくらいいるでしょうか。アメリカの有権者の過半数を越えているでしょうか。


「日本人が鯨を捕るなんて、けしからん」アメリカ人がわめき散らします。その方々は知っているのでしょうか。日本人が鯨を一頭捕鯨する度に「鯨神社」を一基建立しているという事実を。捕鯨した鯨は余すところなくすべてを同胞の生命維持のために使用させていただいているという事実を。鯨の数が激減した理由は「ガス灯」の油確保のために、白人が多量に鯨を捕鯨したことが最大の原因であるという事実を。そして白人は油を取った鯨をすべて捨て去ってきたという事実を。「身勝手なり先進諸国」


そしてまた昨今、散々、二酸化炭素を空気中にまき散らして地球温暖化を巻き起こした欧米先進諸国が発展途上国に命じたこと。「二酸化炭素を出すな」。どうして、この人達はいつもそうなのでしょうか。「我々は白人だからいいのだ」という鼻を突くような嫌な匂いを感じるのは私一人でしょうか。そこまで言う権利があるのは、責任を持って空気中の二酸化炭素を取り除いた国だけだと思うのです。ヒットラーがゲルマン民族を上位に据え、ユダヤの民を家畜にも劣るとした、その同じ匂いをこの欧米先進諸国に対して感じているのは私一人なのでしょうか。


アメリカの歴代大統領でたった一人、オバマさんは広島にやってきました。どうして白人の大統領は来ないのでしょうか。日本人の何を恐れているのでしょうか。黒人だろうが白人だろうが関係ない。日本人は広島を訪れたアメリカ合衆国大統領に対して何かをしでかすなんてことは(よほどの急進者でない限り)考えたりしません。


しかし、そのことを信じ切れないアメリカ人の臆病さがここにあります。人を信じることが恐い。つまり裏切られたときに落ち込みたくないという自己中心的な考えです。「そこまで怖がるのなら、始めから原爆など落とすんじゃない。」と言いたいのです。


かのインド建国の父ガンジーは凶弾に斃れた際にこのように叫んだと言います。「その青年を許せ」さすがにガンジーです。自分を殺そうとした者でさえも「許せ」と言えるのですから。しかし日本の偉大さはさらにその上を行く。一国の指導者ならいざ知らず、原爆で我が子を失った一庶民のおじいちゃん、おばあちゃんがオバマさんに言ったのです。「オバマさん、気にせんでいいんよ。あんたが原爆を落としたんじゃないもんね」


さあアメリカの皆様、もしも立場が逆で、皆さんの頭上に原爆が投下され、皆さんのお子様が一瞬にして黒焦げと成り果てた。その我が子を黒焦げにした日本という国を、皆さんは許すことができますか。「できる?」もし、そのように応えられるのなら、今すぐ、エルサレムを手中に収めようとするイスラム教徒の方々を許してあげたらいかがですか。


自国は多量に核爆弾を所有しながら、他の国々に「核爆弾を捨てろ」「作るな」と命令する?それってどんな権利なのでしょうか。アメリカは考えないのでしょうか。まず我々が核を放棄すれば、我々は勇気ある国として世界中から拍手喝采が巻き起こるに違いないであろうということを。そして世界中が「アメリカに見習え」とばかりに、こぞって核を捨て始めるということを。


そのような人としての良心を信じられずに、臆病のあまり「俺は核を持つ。お前は持つな」などという、ジャイアン流わがまま勝手な上から目線の国に、日本はもうペコペコする必要などないのではないかと思うのです。





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