こころゆくまで

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二律背反を超克する

笑うのも人間だけ。悩むのも人間だけ。不幸を感じるのも、幸せになりたいと願うのも人間だけ。


不幸を感じるから、幸せになりたいと願う。幸せになりたいと願うから、悩みが生じる。悩みが生じるから、何とかしようと、もがき苦しむ。苦しみを無くしたいから、一生懸命笑って、苦しみを追っ払おうとする。ニーチェ曰く「人間だけがこの世で苦しんでいるから、笑いというものを発明せざるを得なかった」


不幸を感じる力を持っている人間は、同時に幸せを感じる力も持っています。幸せを肯定し、不幸を否定しようとするところに無理があるのです。もともと、どちらも感じなければならないように人間はできているのですから。ならば、不幸をも幸せと感じる力も持っているはずではないか。その力は自分の中にあって、じっと潜んでいるのです。その力を自分の中から発現することが肝要なのだと思います。


「不幸を幸せと感じる」あり得ないような話ですが、これは捉え方の問題なのです。例えば卑近な例で恐縮ですが、食パンをオーブントースターで焼いて食べようと思っていたところ、焼きすぎてしまった。片面は黒焦げになっているが、もう片面はそうでもないという状況に直面したとしたら、あなたはどう感じますか。


「しまった。黒焦げじゃないか。あー、何やってんだよ。ダメじゃないか」というふうに黒焦げの方にフォーカスすして「不幸」と捉えるのか。「やったー、片面は無事じゃん。黒焦げの部分だけナイフでけずったらオーケー。ああ良かった」と、黒焦げになっていない方にフォーカスして「幸福」と捉えるのか。同じ状況に直面したとしても、人によって幸福と不幸と感じ方が異なってしまいます。


幸福とか不幸とかいうのは、とても大きな問題のようですが、実は何のことはない自分の身の回りに起こる日常茶飯事を自分たちがどう感じているのか。そういうことなのです。だから、相田みつをさんも言っておられますが「幸せはいつも自分の心が決める」。


ドイツの詩人カールブッセの詩。上田敏訳。
山のあなたの空遠く 「幸」住むと人のいふ
噫われひとと尋めゆきて 涙さしぐみかへりきぬ
山のあなたになほ遠く 「幸」住むと人のいふ


不幸といい幸福というも、それはどこかにあるというものではないのですね。メーテルリンクの「青い鳥」もそうですね。幸せの青い鳥を探して旅に出るチルチルとミチルの兄妹が、どこに行っても見つけることができずに、結局は自分の家の鳥籠の中で青い鳥を見つけるというお話です。幸せはどこか遠いところにあるのではない。自分の家というのは何を指すのでしょうか。そうなのです。一番近いところ。近すぎて見えない。まつげは近すぎて自分で見ることができません。自分に一番近いところとは自分自身の胸中ではないでしょうか。


全て自分の中にある感情のことです。幸せも不幸もどこにもない。ただ、そのように感じる自分がいるだけなのです。全ての現象には幸福も不幸もない。それを幸福と思ったり、不幸と思ったりする人間が存在するのです。さまざまな現象と出逢い、人間が幸不幸を感じるのなら、全ての現象の中に幸福を感じ取ることができる自己であればいいのです。もっと言うなら、目の前に何かの現象が現れたら、それをワクワク感とウキウキ感で楽しむことができればいいのです。それがいつも幸せでいられるコツではないでしょうか。


幸せとは、幸せと感じる自分が作るもの。そのように思う次第です。幸せと感じる力、感性を磨く旅。それを人生と呼ぶのではないでしょうか。




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