こころゆくまで

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つれづれ随想

◆「笑顔」と「幸せ」


「人は幸せだから笑顔になるのではなく、笑顔でいるから幸せになれるのだ」といわれております。先日、NHKラジオのアナウンサーが次のようなことを言っておりました。「幼児は1日平均400回笑うのですが、それが大人になると1日平均15回に減ってしまうのです」と。こんなにも差があるのかと驚いてしまいました。こんな事実を聞かされると、やはり大人よりも幼児の方がはるかに幸せなのだと気づかされてしまうのです。


笑顔がこんなに減っていくから、赤ん坊の時に幸せだった気持ちも、大人になるにつれて減っていくのでしょう。人は成長するに従って、いつの間にか心の中に「闇」を作ってしまうのです。真っ暗な闇の中では赤ん坊は眠るしかありません。幸せな赤ん坊の心が眠ってしまっている。それが現代の大人達の心なのだと思うのです。


だったら、心の中の赤ん坊を起こしてやることが、幸せへの道。どうやったら赤ん坊は目を覚ますのか。それは明るくすればいい。お天道様に照らされれば誰でも目を覚ますのです。心を照らすお天道様、それが笑顔なのですね。お天道様に照らされた赤ん坊が目を覚ますことで、また幼児の頃の幸せな気持ちを取り戻すことができる。だから、人に笑顔を与えていく。そしたら今度はその人から笑顔のお返しがやってきて、私の心の中に眠っている赤ん坊の心も目を覚ます。こうやって、自他共に幸せになっていく。その第一条件。それが笑顔なのですね。


◆「苦」と「楽」


いつかこのブログの中で「いい生活」と「いい人生」とは別の物だというお話をさせていただいとことがございます。すなわち今の大人達が「いい生活」イコール「幸せ」と錯覚し、経済発展にばかり目を向けてきた結果、子供達にまでそのしわ寄せとして「いい生活」ばかりを求めようとする生き方が蔓延するようになってしまった。この日本の現状をどうするかというお話でございます。これも少し、人生観という意味では、あのお話に似ているのではございますが、申し上げさせていただきます。


いわゆる「苦」の反対は「楽」の文字でございますが、では「楽な人生」イコール「楽しい人生」かと申しますと、必ずしもそうではありません。「楽な人生」とはある意味、何事もない平坦な人生であり、平穏無事に終わる人生のことでしょうが、それは同時に「退屈な人生」であり面白みに欠ける人生とも言えるのです。それは必ずしも「楽しい」とは言えません。「楽」を楽しむこともできますが、私達人間は同時に「苦」を楽しむこともできるのです。「苦」を乗り越えてゆくことを楽しむ。「今の苦しみは将来のネタ作り」というのがこれに当たります。つまり「苦楽」を一体として、そのどちらも楽しんでいく人生というものが「幸せな人生」であり、この「苦楽」ともに楽しめる力のことを「人間力」というのだと考えております。


ですから、失敗を喜んで引き受けましょう。「失敗先発部隊」という発想は真理であり、「失敗」という「苦」を乗り越える日々の激闘の中にこそ「人間力」の向上もある。つまり「失敗」がなければ「人間力」の向上もないわけで、それでは幸福を勝ち取る力を身につけることもできません。


ところが近年、大人達は子供に失敗をさせることを忌み嫌ってきた現実があるのです。失敗させてはならじと、とにかく手を差し伸べる。その結果もたらされたものは何であったか。失敗することを恐れて引きこもってしまう子供の増大以外の何ものでもなかったのではないでしょうか。


さらに言わせてもらいたいと思います。私達が幼少のみぎり、当時の少年はみんな「肥後守」という名称の小刀を持っておりました。これがないと竹藪に入っても紙玉鉄砲一つ、竹とんぼ一つ作ることができなかったからなのです。しかし当時、私達も当然子供ですし、小刀を使用していて怪我をすることもございました。つまり、自ら切り傷の痛みを知っていたのであります。だからこそ、当時、その刃物を人に対して向けるものなど皆無だったのです。


それを現代の大人達は「危険である」という理由から奪い去ったのです。その結果何が起こったか。自分で怪我をしたことがなく、人の痛みもわからない人間が増えてしまった。その結果が、「誰でもいいから殺してみたかった」という、人の痛みと自分の痛みを切り離して考えるあの恐ろしい言葉なのではないでしょうか。子供達から危ないことを奪うことの危険性を感じているのは私だけなのでしょうか。





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