こころゆくまで

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学校の存在意義

 「なぜ管理職にならないのか」と多くの人たちに言われてきましたが、私は野村監督の言われる「生涯一捕手」を貫くことを始めから決めておりました。「子供が好きで教師になった身」それを貫くのが我が使命かと。校長は授業もないし、子供とも遊んでやる時間も取れないし、出張ばっかりやし、教育委員会の言いなりにしなければならないし、ああやし、こうやし、(笑)。 校長ってなんて退屈な仕事なんだと、はたで見ていて可哀想に思っておりました。要するに子供から遠い存在なのです。その証拠に、私は62歳を迎えた今でも、私の担任だった先生はすべて覚えておりますが、私の子供時代の校長先生の顔も教頭先生の顔も覚えておりません。ましてや、私は教え子達の結婚式には数多く出席しておりますが、その場に教え子のかつての校長先生や教頭先生の姿を見ることはまずありません。


 確かに「校長先生」という存在は学校にとって、すべての取り組みを決定していく重要な存在なのですが、子供の心の中には残れない存在。そういう意味では寂しい存在なのではないでしょうか。わがままではありますが、私は子供の中に生涯忘れ得ぬ存在でありたかったのです。この私の考えは確かに学校運営の上からはエゴなのかもしれませんが、軍師として学校という城を守っていく存在。神輿である校長を校長として輝かせていく存在。子供一人一人を現場で輝かせていく存在。それも必要な存在だと思っております。伊勢修養団の故中山先生流に言えば「人を光らせる人が実は一番光っている」と申すのでしょうか。


 学校を異動する時に必ず子供達に伝える言葉がございます。「一日の学校生活の中で、何でもいいから、自分を輝かせる場所を見つけるんだよ。」「勉強が得意な人は授業中に輝け。友達が好きな人は休み時間に輝け。きれい好きな人は掃除時間に輝け。積極的な人は生徒会活動で輝け。運動得意な人は運動会で輝け。物作りや劇が好きなら文化祭で輝け。放課後エネルギーをもてあます人は部活動で輝け。学校はな君たちを輝かせるためにあるんやから。」


 子供達が自分を輝かすことさえできたのなら、子供達は決して間違った道に進むことはないと確信しております。さらに、学校の使命とは、子供を輝かせる場所をいくつ彼らに提供できるかがその唯一の存在意義であると。もし自分が輝く場所があるのなら、子供はいつも笑って過ごせる。そのように信じて教職に身を挺して参った次第です。


 子供は「輝きたい」に決まっています。輝く場所が見つからないだけ。輝きたいけど輝けない子が、それでもどうしても輝きたいから、ピアス、超ミニスカート、巻き巻きの頭やパッキンヘアーと、ちょっと人とは違う輝き方をしてしまう。本当にかわいい存在なのです。


 先日NHKラジオを聞いておりますと、大人は一日平均15回しか笑わず、幼児は平均400回笑うと申しておりましたが、その子供の笑顔が小学校高学年、中学校、高校と進むにつれて徐々に減少して行き、やがて15回。1日わずか15回で幸せを呼び寄せれるはずはない。幸せだから笑顔になれるのではなく、笑顔だから幸せになれると思う次第です。


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