こころゆくまで

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夢と志(坂本龍馬の生き方)

こころざしを果たして いつの日にか帰らん
山は青きふるさと 水は清きふるさと


 「夢」は見ているだけでもいいのでしょう。見ているだけで夢が終わったとしても、「あれは夢やったんや」で済ますことができる。ちょうどウィンドウショッピングのようなものです。実際に買わなくても誰からも文句は言われません。「このダイヤの指輪、素敵だわー」と見ているのが「夢」。でも、「志」はそういうわけにはいきません。「志」は「果たすもの」ですから、そこには必ず「行動」が伴っている必要があります。「私、絶対にこの指輪を買うの」と決めて、そのために働いてお金を貯めようと頑張り始める。こうなると、それはもう昨日までの「夢」ではなく、近く実現するかもしれない「志」なのだと言えます。そういう意味では、「夢」が行動を伴って実現させようとの強い意志を帯びてきたときに、それは初めて「志」と呼べるものになると言えるのではないでしょうか。


 「戦争と平和」の著者として有名なトルストイが次のように言っています。「人生には一つだけ間違いのない幸福がある。それは人のために生きることである。」


 私が坂本龍馬という人物のことを知ったのは司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」という小説を学生時代に先輩から勧められたのがきっかけです。
 その竜馬の一番の資質というものは何だとお考えになられるでしょうか。実はこれが当時の幕末の勤王か佐幕かというイデオロギー満開の時代にあって竜馬を他の志士たちとは、ひときわ際立ったものとしているように思えてなりません。それは竜馬の中に流れる「天皇中心」でもなく、「幕府中心」でもない、「人間中心主義」「庶民中心主義」ではなかったかと思うのです。
 つまり、竜馬は人間そのものをこよなく愛していた。彼には尊皇派も佐幕派もなく、どっちも好き。その愛する人間同士が殺し合いをするのが一番嫌い。ですから、勤王の志士でありながら、勝海舟などという当代随一の佐幕派を代表する人間の弟子になることも、彼にとっては何の問題もないことだし、松平春嶽とも仲良くなれる。およそ勤王の志士とは思えない行動をやってのけることができたのではないかと。この「人間好き」というのが坂本竜馬の第一の資質ではなかったかと、このように思うのです。
 「トムソーヤーの冒険」の作者として知られるアメリカの作家マーク・トゥエインという人が次のように言っております。「彼は人を好きになるのが好きだった。だから、人々は彼のことを好きだった。」竜馬が彼を取り巻く人々からこよなく愛されてきたのと、まったく同質のものを私は感じております。
 このことは実は人間に対しても好き嫌いがないということと密接な関係があると思っております。私が見るところ、竜馬は「自分以外の人を好きになることが自然にできる人」、こういう人は多分に「他の人も自分と同じではないか」「自分と同じように人間が好きなのではないか」と思ってしまう傾向があるように感じます。
 しかし実際には、人を好きになるには大半の人には、なみなみならぬ努力が必要です。本当は他人を嫌いではなく好きになる方がいいに決まっていますが、好き嫌いというのは感情ですから、自分の感情をコントロールすることの難しさが伴うからです。それを容易にやってのける人がいる。そう言う人々がいつの時代にあっても、新しい時代を切り開いてきたのではないでしょうか。


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