こころゆくまで

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人間力

【人間力】
人間力というのは、自分が身につけた服を脱ぎ捨てて裸になった時の力のことです。生まれてから今日までの間に色んな服を身につけたのが大人の人間。その服とは財産、地位、権力、知識、名声。それらをすべて脱ぎ去っても、なおかつその人間が持っている力。それが人間力。つまり、裸一貫で勝負できる力のことなのです。しかしこの人間力は目に見えません。人間はどうしても目に見えるものの方がわかりやすいのです。そのために、一目でわかる財産、地位、権力、知識、名声といったものを求めたがるのだと思われます。これらの目に見えるもののことを「外見力」と呼びたいと思います。


ある著名な社長さんが次のようにおっしゃっています。自分の人生をもう一度コンビニの店員から始めたとしても、牛丼屋の店員から始めたとしても、今の場所に戻ってこれると。つまり、人間力さえあれば、どんな服を身につけることも、そんなに難しいことじゃない。財産や地位などという外見なんてものは、それほど重要なことではなく、問題は人間の中身がどうなのかということなんだと。人間力のあるなしが重要なことではないかというのが、その方の原点になっておられるようでございます。


【悩みの大半は他人との比較】
つまり、他人と比較しやすいこれらの外見力。財産、地位、権力、知識、名声といったものを他人と比べて、多いか少ないかで悩んでいるのがほとんどの人なのですね。


見えやすいから、どうしても外見に固執してしまう。つまり、それが足りなかったら、もっと欲しいと思うし、身につけたものが無くなるのが恐いと思う。なぜ恐いのか。それは、生まれてから今まで、一生懸命、服を着続けてきたから、いつの間にか心が寒がりになってしまったのですね。心が寒くなって、心が風邪をひきそうだから、もっともっと着込まないと凍えそうで、たまらないのですね。それが悩みの大半のようです。


ということは、その凍りついた心を溶かしてあげるのが、心がポカポカしていて、凍りついていない人達の使命ではないかと思うのです。つまり、誰でも心の中に眠っている「魂」がある。その「魂」の炎が小さくなりすぎて、氷を溶かす力が無くなっている人々。その「魂」をもう一度、真っ赤な太陽にさせようと頑張っておられるのが文昭さんなのです。


この心の氷を溶かしてくれるもの、それが人間力であり、その力は元修養団館長、故中島靖雄先生が言われる「御霊(みたま)」から発せられる力のことだと思われます。


「そんな服なんて、あったって、なくったって、幸せとは関係ないよ。ほら、そんなもの、いくらでも脱げるよ。だってこんなにあったかいじゃないか。」そうやって、自分の裸一貫の姿をさらけ出して、そこから、凍りついた相手の心を溶かし始める。やっぱり実践なくしては机上の空論と言われても仕方ありませんね。


それにしても、「いい生活」を求める生き方をされようとしている人々がなんと多いことでしょう。「いい生活」というのは、この財産、地位、知識、権力、名声という服を一生懸命着込もうとする生き方で、着込むだけ着込んで、服が重くなりすぎて、動くことさえままならないほどに着ぶくれしてしまっている人もかなり見受けられます。つまり、「外見力」だけを手に入れようと追いかける生き方というのは、「足りないからもっと欲しい」、「身ぐるみはぎ取られて裸にされてしまうのが恐い」。どうしても、そのような悩みが生まれてしまうものなのです。


しかし、「いい人生」というのは違います。これは自分の外見を着飾るために、外にあるものを手に入れる生き方ではなく、自分の中にある「魂」を磨いていく生き方なのです。そうやって磨かれた「魂」からほとばしり出る人間力で、まず、暗く沈んだ人の心を明るく照らしてあげようとする。そして次に、照らされて明るくなった人の心の中を、今度は温めて溶かしてあげようとする、そんな生き方のことなのです。こうしてみると、「人間力」というのは、まさしく人の心の暗闇を照らす「光」と人の心の氷を溶かす「熱」、すなわち太陽の力そのもののようなのですね。そして、本当の幸せとは「いい生活」ではなく「いい人生」を求める生き方、つまり外見を着かざるのではなく、魂を磨くことにこそあるのではないか。それが中島靖雄先生のおっしゃりたかったことであり、私達が実践しなければならないことではないかと思えるのです。


【入り口と出口】
最近よく耳にする「カネは入り口よりも出口」。そして、これはカネだけには留まらないように思われます。カネは財産なので、確かにその一つですが、先ほどから述べているように、身につけることができるものはすべて、入り口より出口の方が大事なのです。つまり身につけた財産、地位、権力、知識、名声。これらのものを「何のために使っていくのか」ということが重要なのであり、何のために使ったかということに、その人の人間としての価値が問われているのだと思います。


つまり、自分が身につけた服の脱ぎ方の問題なのです。はたから見ると暖かい暖房の効いた部屋の中にいるのに、その事に気づかないで、それでも「寒い、寒い」と言って、まだ着込もうとする人達がおられます。


「カネも地位も権力も知識も名声も、入り口より出口や、その服、はよう脱いで、外で凍えてる人にかけてやらんかい!」人々がお互いにそのような言葉でつながりあっていくことをアメリカは一番恐れていると思われるふしがあります。「脱いだ服を自分の洋服箪笥にしまい込むのか、凍えてる人に着てもらうのか。あんた、どっちが幸せなんや!」と、こんな言葉を掛け合いながら、素晴らしい未来を構築していけたらきっと人類の未来は明るいものになるのではないでしょうか。

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